先日「
ミリキタニの猫」試写会に行ってきました。

ミリキタニの猫は、第二次世界大戦のせいでカリフォルニア、ヒロシマ、ニューヨークと流転の人生を歩まざるを得なかった80歳の日系アメリカ人路上画家ジミー・ツトム・ミリキタニ(ミリキタニの日本語表記は三力谷)が、ドキュメンタリー映画の女性監督リンダ・ハッテンドーフと出会い、彼女の助けによりアメリカ政府への赦しや社会保障を復活させ、生き別れになった家族と再会する軌跡を描くドキュメンタリー映画。
最初は「ホームレスの四季」といった内容のドキュメンタリーを撮ろうとミリキタニを撮影していたハッテンドーフ監督。しかし、あの2001年9月11日、世界貿易センタービルが瓦解していく中で、粉塵にまみれながらもいつも通り絵を描き続けるミリキタニを自分のアパートメントに招き、ともに暮らし始めてからその方向性は大きく変わる。
日本で軍人になるよりも、アメリカで勉強をして画家になるという大志を抱いて生まれ故郷のカリフォルニアへと渡ったミリキタニ。しかし、第二次世界大戦が始まると日本人だという理由で強制収容所に収容され、やがてアメリカ国籍も放棄しなければならなくなり、流転の人生を歩むことになった。しかも、強制収容所では仲間は次々に死んでいき、ヒロシマにいる家族や親戚も原爆でなくしてしまった。ミリキタニの心は自分から何もかもを奪ったアメリカ政府への憎しみが巣くっていた。
しかし、そんなミリキタニに手をさしのべてくれたのは、ハッテンドーフ監督や福祉施設の職員たちの寛容さ、本気で人を救おうとする行動だった。
そしてある日、過去と決別するために、ミリキタニはかつて自分が収容されていたツールレイクの収容所へと向かうーー。
ホームレスになっても恵んでもらったペンや紙で日々黙々と絵を描き続けるミリキタニ。自分は絵のグランドマスターだと言い切る自信。ときにはハッテンドーフ監督をこまらせる厚かましさ。過酷な人生を生き抜いてきた彼は、どんな時でも絵を捨てなかった誰にも消すことのできない情熱があった。たとえホームレスに身を堕としても、誇りを失わなければ一流の画家でいられるーーそんなミリキタニの姿にも考えさせられることがあったのだが、一番驚かされたのは、ハッテンドーフ監督の、素性もわからないホームレスのおじいさんを一人暮らしの我が家に住まわせ、住む場所も社会保障もない彼を救うために手を尽くし、生き別れになった家族までも探し出した人のために尽くす姿だ。それは明らかにカメラが回っているからという売名行為とは違うもののように感じられた。素性もわからないホームレスを、9.11のあの状況だからといって我が家に連れ帰る勇気は私にはない。また、路上のホームレスに対して、ニューヨーカーたちの接し方が温かいことも日本では考えられないことだと思う。時には世界の警察面をして戦争をするアメリカに嫌悪感を抱くことも正直あるのだが、今回はアメリカの庶民の寛容さに胸を打たれた。
また、最初はヨボヨボのおじいさんだったミリキタニが、終盤に近づけば近づくほどに若返っていく姿にも目を見張った。それは身なりがきれいになったからという理由だけではなく、自分の人生を取り戻し、居場所を見つけた輝きだと思う。
私のお気に入りのシーンは、帰宅が遅くなったハッテンドーフ監督に対して心臓も止まらんばかりに心配したミリキタニがお小言を言い、それに対してハッテンドーフ監督が足下にまとわりつく飼い猫を怒るように見せかけて言い返すところ。「そんなに鳴かないでよ。私がいなければ生きていかれないとでもいうの?お腹がすいているんじゃないでしょう。元気な体なんだから自分の面倒は自分で見られるはず。私にも自分の時間が必要なのよ!」と。これがとてもチャーミングでほほえましいシーンなのだ。
タイトルにもなっている「ミリキタニの猫」ーー。
ミリキタニは収容所にいるとき、自分になついていた男の子に「兄ちゃん、兄ちゃん、日本の猫描いて」とよくせがまれて描いたのだという。ミリキタニに猫の絵をせがんだ坊やは収容所で亡くなった。
ミリキタニの猫は9月8日、ユーロスペース他でロードショー。
ピース・キャッツ 「ミリキタニの猫」画文集