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蟠桃を食べてみた

楊貴妃蟠桃(ばんとう)を食べてみた。
普通の桃よりも平べったい。

momo1


裏から見るとハートみたいでちょっとかわいい。

momo2.jpg


果肉の色は桜桃のような鮮やかな黄色。
そして普通の桃よりも甘い!ものすごく甘い!

しかし栽培が大変に難しく、幻の桃と呼ばれているようです。
樹上で熟さないと美味しくない上に熟すと他の桃よりも傷みが早いのだとか。
孫悟空は天界でこの蟠桃園の管理をしていたのだそうです。
天界のこの蟠桃園で9000年に一度実をつける蟠桃を食べると不老不死になり、その桃を盗み食いして不老長寿の体を手に入れたんだって。
また、楊貴妃はこの桃があまりに美味しいので宮廷内で栽培させ、他の者が食べると死罪にされてしまったと言い伝えられているそうです。
今はいろいろな食べ物があるけど、そうでもなかった昔はきっとそのぐらい画期的な果物だったに違いない。
普通の桃のようなジューシーさはないけどちょっとコクのある甘さがある。
中からはやっぱりハート型の普通の桃の半分くらいの大きさの種が出てきました。
農作物の種は親と同じように育たないのは知っていますが、ベランダで育ててみようかなと思いました。そのくらい嬉しいおいしさだったんです。

■大紅蟠桃


パティスリーキハチのふたつのチーズケーキを食べ比べてみた。

まずは「蔵王チーズのモンブラン」。

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蔵王という言葉の響きから勝手に濃厚で自然そのもののチーズの味わいを想像してしまっていたつきまろ。
けれど実際はレモンの風味が強くて、子どもの頃によく食べたレモンケーキを思い出してしまいました。中にはダークチェリーが5つくらい入っていました。
個人的な意見で大変恐縮ですが、あまりつきまろ好みのチーズケーキではなく・・・。
チーズケーキはいかにもチーズチーズした味わいが好きなのよねん。

続いて「フロマージュブランとチーズのタルト」。

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これはチーズの味わいが濃厚。中には洋酒でつけたオレンジが入っています。アクセントのナッツもいい味だしてます。
こちらは結構つきまろ好み。

一般的に夏場は人々がさっぱりしたものを求めるためケーキの売り上げは落ちるそうですが、つきまろは四季を通じてケーキ大好きです。


62回目の終戦の日

私の家族は戦争に人生を翻弄された人たちでした。

父方の祖父はニューギニアで戦死。
遺骨は戻らずに、祖母の手には誰のものかわからない爪と軍服の釦が渡されたとか。
父親を戦争にとられた幼かった父は道端で天皇陛下のことを「お天ちゃん」と呼んで憲兵に捕まり、拘留されたそうです。まだ子どもだったにもかかわらず。
祖母は女手ひとつで3人の息子を育ててきました。父は進学したかったそうですが家にそんな余裕はなく、働きに出るしかなかったことを後々まで悔しがっていました。

母方の家族からは私は幼児の頃からたくさんの戦争の話を聞かされました。
飛行機が空を飛ぶとB-29が来たと思って泣き出すくらいに(笑)。
祖父は大阪の空軍の学校を卒業し、戦艦に乗っていたそうです。不思議にも祖父が向かう場所向かう場所相手の攻撃がなくなり、戦艦で剣道の試合をしたりした話や、アホウドリがどれだけ大きいのかをよく聞かせてくれました。たくさんの危ない目にもあったのでしょうが幼児の私に聞かせるのははばかられたのかもしれません。
そんな祖父も、ふたりで戦争のはらわた?Cross of Iron?を見ていたときにこうつぶやきました。
「俺は船で機銃掃射を受けたときも怖いとは思わなかった。だけど今、こうしてみると、戦争は恐ろしい・・・」。

祖母と母は名古屋大空襲にあったときの話を何度も何度もしていました。
焼夷弾が落ちてあっという間に街は火の海。祖母は5人の子どもを抱えて逃げまどったそうです。たくさんの人たちがあっちでもこっちでも焼けている。燃え上がる街にはたくさんの煤が舞っていて、逃げる母たちの目に入り、前が見えなくなる。すると乳飲み子を抱えた祖母は胸をはだけて子どもたちの目を母乳で洗い、また慌てて逃げる・・・。
炎が落ち着くとあちらにもこちらにも炭になった人の死体がごろごろしていて、幼い母の目に焼き付いてしまったと言っていました。比較的裕福な暮らしをしていた母は「空襲のせいで大事にしていたお人形も、御紋の入った漆塗りの乳母車も、洋服も、お金も全て焼かれてしまった。戦争のせいで何もかも失って、うちは貧乏になった」と言っていました。その他にも防空後内部の様子や灯火管制下の暮らしぶり、配給に並んだこと、食糧難、ありとあらゆる悲惨な話を繰り返し聞きました。
また、祖母の姉が広島の原爆で亡くなったこともーー。

中学の時には数学の先生が戦争体験を語ってくれました。
小さな戦艦に乗っていたときのこと。機銃掃射を受け、甲板から船内に駆け込み、後ろを振り返ったら友だちの頭が吹き飛ばされたところだったと。その先生は廊下を歩くときいつも教科書で胸を隠していました。戦時中に肺病になり、肋骨を全部切り取って手術をしたのだそうです。しかも麻酔なしで。先生にとって戦時中に心の安まるときは一時もなかったようでした。

高校の時には何人もの先生が戦争体験を語ってくれました。
戦時中は「この戦争は正しい」「お国のために死ぬことは名誉だ」と教育を受け、大人たちを信じ、自分も大人になったら兵隊になろうと思っていたのに、終戦でそれは全て間違いだったと知らされた。そのときの虚無感は未だ味わったことがない。と語ってくださった先生。
英語の先生は副教材に原爆の被害にあった女の子の話を使って、泣きながら戦争の悲惨さ、愚かさを訴えてくれました。

また、地元で唯一の百貨店の催事場で催された「核兵器 現代世界の脅威展」にも大きな衝撃を受けました。原爆で焼けただれた屋根瓦、瓶などの品物や、当時の写真に胸を締め付けられました。また、そこでは何人かのご婦人が戦時中に食べたという雑草の入ったお粥を振る舞ってくれました。「今日作ったののにはね、ごはんがたくさん入っているでしょう。でもね、本当におばさんたちが食べたのはお米なんかちょっとしか入っていなくて、草ばかりだったのよ。でも、今の人たちにそんなの出しても食べられないでしょう」と優しく微笑みながら渡されたお粥の味は、当時よりごはんが多いとはいえ、青臭くて青臭くて、とってもまずくて、いただいた分を食べるのに一苦労でした。でも、私には当時の人たちのことを思うとそのお粥を残すことはできませんでした。

そんな風に育ってきた私は憲法9条を変える気にも、戦争に賛成する気にもなれません。

ただ、戦争体験を話してくれていた頃の祖母や母は本当に外人さんが嫌いで、テレビに外国人が出ていると「毛唐は気味が悪い」と言ったり、「ロシアは野蛮国だ」と、どう考えても外国人を差別するような発言もしていました。だって「鬼畜米英」とたたき込まれて生きてきていたのですから。
幸いなことに私には「戦争ほど悲惨なものはない」「全人類が地球市民としての自覚を持つべき」と教えてくださる師匠がいたので、子どもであっても外国人を「毛唐」と嫌うようには育ちませんでした。
そして、戦争体験からすっかり外国人嫌いになっていた母と祖母も、いつの頃からかぱったりと外国人を嫌がらなくなりました。その心にどんな転機があったのか、聞いたことがないのでわかりません。でも、祖母と母が「毛唐」発言をしなくなったと気づいたときに私はなんだかとても満ち足りた気持ちになりました。いま母はパックンがかわいかったり、ボビー・オロゴンが面白かったり、好きな外国人タレントがたくさんいます。
祖母と母は戦争で受けた心の傷を癒すのに、何十年もかかっていたのかもしれません。

戦争体験を語り継ぐことで戦争の愚かさと悲惨さを知り、人間はみんな平等なのだと教わることで心の中に平和の砦が築かれる・・・若輩者ではあるけれど、自分の人生を振り返ると、そのことに確信が持てます。

もう何年も前に祖父母も父もなくなってしまったけれど、辛かった戦争の体験を語り残してくれたことに感謝します。

62回目の終戦の日に戦争について考えてしまったつきまろでした。



気分が疲れていたので脱力したくなり、観ちゃいました、「えびボクサー」。

イングランド中部でパブを営む中年男ビル。かつては将来を嘱望されたボクサーだったが挫折したらしい。ある日、友人の何でも屋アミッドから「2m10cmの巨大えびを使って人間とボクシングをやらせる興業をしてはどうか?」という商売の話を持ちかけられる。
最初は断ったビルだが、結局えびに夢を託すことに。
パブの客でもあるヘタレボクサー・スティーブとスティーブの彼女でちょっとアブノーマルな趣味を持つシャズを引き連れ、人間対えびの試合を売り込むためロンドンのテレビ局へと向かうビル。テレビ局にはなかなか取り合ってもらえないが、ミスターCと名付けた巨大えびは、餌は小エビ1日18キロ、毎日体に保湿クリームを塗らなければならない、脚(いっぱいあるよね!!)のストレッチも毎日と、なかなか手間のかかるヤツだった。はたして「えびボクサー」は実現なるのかーー。

イギリス映画らしいお下劣さが笑えます。だけどとってもハートウォーミング。
ビルとミスターC、ふたりの間に最初は愛情はなかったのですが、一生懸命世話をしていくうちに愛が芽生えていくんです。
ホテルのベッドに横たわり、テレビを観ながら長いストロー状の口でシュリンプをすする姿はなかなかキュート。あんなえびなら家に一匹いてもいい!?
あの巨大えびはマンティス・シュリンプ(カマキリえび)という本当にいるえびなんですね。もちろんあんなに巨大化するのは本当ではありませんが。
映画の中で巨大化した理由をアミッドが「21世紀だから」と言っていたけど、昔、放射能漏れのせいで3メートルのタンポポができてしまったという話を聞いたのを思い出して、それもなんとなく頷けちゃったりして。
最後にはミスターCもビルもスティーブもみんなそれぞれの道でハッピーになっていくのが、嬉しかったです。やっぱり映画は後味がよくないとね!

パブを経営することは夢じゃなかったというビルは、客がおつまみに手を伸ばす度に「パブのつまみは人の尿にまみれている」と言っていたのですが、これからは飲みに行ってお通しにナッツ類が出てきたら間違いなくビルの言葉を思い出すと思います。

えびボクサーは心をほぐしたいときにオススメの1本です。

父と暮せば

黒木和雄監督といえば宮沢りえちゃんが主演した「父と暮せば」も観ました。(「暮せば」はつきまろの送りがなの間違いじゃないですよ)
井上ひさし氏の戯曲父と暮せば (新潮文庫)の映画化作品で、TOMORROW 明日美しい夏 キリシマに続く戦争三部作の完結編として制作された作品。

原爆投下から3年後のヒロシマ。生き残った娘・美津子は自分が生き残ってしまった後ろめたさから、幸せになってはいけないと自分に言い聞かせて生きていた。美津子は原爆資料を収集する男性、木下と出会い恋心を抱くが、それすらも押さえつけようとしてしまう。
そこへ原爆の犠牲となった父が幽霊になって現れ、なんとか美津子のかたくなな心を開こうと励まし続けるが・・・。

出演は美津子に宮沢りえ、父・竹造に原田芳雄、そして木下役に浅野忠信。映画では木下が登場しますが、井上ひさし氏の戯曲に登場するのは父娘のふたりだけです。
ほほえましい父娘のやりとりのなかから戦争、原爆の悲劇が浮かび上がってきて、そのギャップが余計に切なさを感じさせます。
一発の原爆が美津子の心にいくつも傷をつけています。まずは大の仲良しを失ったこと。美津子は自分よりも優秀だった友だちも原爆で亡くし、数日後にその友人のお母さんと再会するのですが、そこで「うちのこじゃのうて、あんたが生きとるんはなんでですか」と言われてしまう。それってすごくショックですよね。
また、他のクラスメイトたちも、焼けただれて防火用水の中に直立したまま亡くなったり、唇が焼き茄子のように膨らんでただれて亡くなったり、身の回りにいる大勢人たちの悲惨な亡くなり方が頭に焼き付いて離れないのです。
そして、何より美津子を苦しめているのが、「おとったん(おとうさん)」を目の前で亡くしてしまったこと。原爆が落ちて崩壊した家の下敷きになったおとったんを何とか助けようとするのですが、顔にひどいやけどを負ったおとったんの体は梁の下になっていて美津子には助けられない。家とともにおとったんの体はどんどん焼けていく。おとったんは自分にはかまわず「早よ逃げー!」というが、美津子はその場を動かない。そこで、おとったんは「ちゃんぽんげ(じゃんけん)」で決めようと提案。このちゃんぽんげのシーンが本当に泣けるんです。恥ずかしいくらい涙が出ます。何とか娘だけには生きてほしいと願う父と、父を見捨てるわけにはいかない娘、ふたりの心情に胸が張り裂けそうです。
結果、美津子は逃げたのですが、自分は父を見捨ててしまったと苦しみながら生きることになったのです。そんな娘の状態を「うしろめとうて(後ろめたくて)申し訳なー病」と名付けて、なんとか立ち直らせようとするおとったん幽霊の愛情はほのぼのとしているけれども大変力強いです。美津子が生き残ったのは、こんなむごい別れ方をした人たちが何万もいたということをみんなに覚えてもらうために生かされているんだよ、と。
美術監督は木村威夫さんですが、セットも素晴らしかったです。お父さんが幽霊になって娘を励まし続けるというファンタジックな部分と絶妙にマッチしていました。
りえちゃんのぎこちない広島弁がちょっとだけ気になりますが、透明感は抜群です。宮沢りえちゃんといい原田知世ちゃんといい、黒木監督は透明感のある女優さんが好きなのかな。
家族で観てもカップルで観てもいい作品だと思います。


紙屋悦子の青春

8月です!
この月になると戦争をテーマにした映画やドラマが多くなりますが、今回は私のお薦めをご紹介します。
それが黒木和男監督の紙屋悦子の青春です。
物語は病院の屋上の老夫婦の回想から始まります。
回想の舞台は終戦間近な鹿児島の田舎町。優しい兄(小林薫)と親友でもある兄嫁(本上まなみ)と3人で慎ましく仲良く暮らしていた悦子(原田知世)。悦子は兄の後輩・明石少尉に密かな思いを寄せていたが、ある日、兄は別の男性との見合いを悦子に勧めてきた。相手は明石の親友・長与少尉。明石自身も悦子と長与の見合い成立を望んでいるらしい。傷心を隠して見合いに望む悦子。長与は悦子に一目惚れをし、緊張のあまりトンチンカンな行動を繰り返してしまうが、そんな長与に悦子もいつしか心を開く。
しかし、悦子は彼女の見合いを望んだ明石が海軍特攻隊に志願したことを知ってしまう。死を目前にした明石は信頼する友・長与に最愛の人の今後を託したのだ。明石の思いを胸に悦子と長与が踏み出す新たな人生の一歩とはーー。

紙屋悦子の青春は松田正隆の戯曲の完全映画化。1962年生まれの松田氏はお母様の体験を元にこの作品を92年に発表したそうです。
出演は原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫の4人だけ。
戦闘シーンが出てくるわけでも、空襲シーンが出てくるわけでもありませんが、戦時下の庶民の暮らしや気持ちを丁寧に描いています。
当時まだ日本人が持っていた奥ゆかしさや慎ましさ、人間としての清潔さ、潔さが登場人物の一人一人から感じられます。であるにもかかわらず説教臭さは微塵もありません。
原田知世ちゃんの可憐さも素晴らしいのですが、永瀬正敏、松岡俊介の眼の演技が見物です。ドキドキしました。イマドキは映画でもテレビでも何でも台詞で心情を表しがちですが、この映画を観たときには「行間」から心情を察することのできる、俳優の演技から心情をくみ取ることのできる映画に久々に出会ったと嬉しくなりました。
紙屋悦子の青春を観てから数日間はこの映画のことを思い浮かべるだけで胸がキュンとなりました。派手さはありませんが傑作だと思います。

この映画を撮られた黒木和男監督は昨年の4月に亡くなられています。戦争の残酷さを知り、平和を望む作品を多く世に送り出した黒木監督。いま一部でわき起こっている憲法改正論を監督はどう考えていたのかな?・・・そんなこともふと考えてしまいました。

しかし、化け物のように年をとらない原田知世さん。どうしたらいつまでもあんなに可憐で透明感を持って生きられるのでしょうか。
特殊メイクでおばあさんを演じていましたが、それでも口元が若々しすぎて、特殊メイクですら知世ちゃんの若さに太刀打ちできないのかあ!?と変なところにも感動。いつまでも年をとらない原田知世ちゃんにも注目!


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