私の家族は戦争に人生を翻弄された人たちでした。
父方の祖父はニューギニアで戦死。
遺骨は戻らずに、祖母の手には誰のものかわからない爪と軍服の釦が渡されたとか。
父親を戦争にとられた幼かった父は道端で天皇陛下のことを「お天ちゃん」と呼んで憲兵に捕まり、拘留されたそうです。まだ子どもだったにもかかわらず。
祖母は女手ひとつで3人の息子を育ててきました。父は進学したかったそうですが家にそんな余裕はなく、働きに出るしかなかったことを後々まで悔しがっていました。
母方の家族からは私は幼児の頃からたくさんの戦争の話を聞かされました。
飛行機が空を飛ぶとB-29が来たと思って泣き出すくらいに(笑)。
祖父は大阪の空軍の学校を卒業し、戦艦に乗っていたそうです。不思議にも祖父が向かう場所向かう場所相手の攻撃がなくなり、戦艦で剣道の試合をしたりした話や、アホウドリがどれだけ大きいのかをよく聞かせてくれました。たくさんの危ない目にもあったのでしょうが幼児の私に聞かせるのははばかられたのかもしれません。
そんな祖父も、ふたりで
戦争のはらわた?Cross of Iron?
を見ていたときにこうつぶやきました。
「俺は船で機銃掃射を受けたときも怖いとは思わなかった。だけど今、こうしてみると、戦争は恐ろしい・・・」。
祖母と母は
名古屋大空襲にあったときの話を何度も何度もしていました。
焼夷弾が落ちてあっという間に街は火の海。祖母は5人の子どもを抱えて逃げまどったそうです。たくさんの人たちがあっちでもこっちでも焼けている。燃え上がる街にはたくさんの煤が舞っていて、逃げる母たちの目に入り、前が見えなくなる。すると乳飲み子を抱えた祖母は胸をはだけて子どもたちの目を母乳で洗い、また慌てて逃げる・・・。
炎が落ち着くとあちらにもこちらにも炭になった人の死体がごろごろしていて、幼い母の目に焼き付いてしまったと言っていました。比較的裕福な暮らしをしていた母は「空襲のせいで大事にしていたお人形も、御紋の入った漆塗りの乳母車も、洋服も、お金も全て焼かれてしまった。戦争のせいで何もかも失って、うちは貧乏になった」と言っていました。その他にも防空後内部の様子や灯火管制下の暮らしぶり、配給に並んだこと、食糧難、ありとあらゆる悲惨な話を繰り返し聞きました。
また、祖母の姉が広島の原爆で亡くなったこともーー。
中学の時には数学の先生が戦争体験を語ってくれました。
小さな戦艦に乗っていたときのこと。機銃掃射を受け、甲板から船内に駆け込み、後ろを振り返ったら友だちの頭が吹き飛ばされたところだったと。その先生は廊下を歩くときいつも教科書で胸を隠していました。戦時中に肺病になり、肋骨を全部切り取って手術をしたのだそうです。しかも麻酔なしで。先生にとって戦時中に心の安まるときは一時もなかったようでした。
高校の時には何人もの先生が戦争体験を語ってくれました。
戦時中は「この戦争は正しい」「お国のために死ぬことは名誉だ」と教育を受け、大人たちを信じ、自分も大人になったら兵隊になろうと思っていたのに、終戦でそれは全て間違いだったと知らされた。そのときの虚無感は未だ味わったことがない。と語ってくださった先生。
英語の先生は副教材に原爆の被害にあった女の子の話を使って、泣きながら戦争の悲惨さ、愚かさを訴えてくれました。
また、地元で唯一の百貨店の催事場で催された「
核兵器 現代世界の脅威展」にも大きな衝撃を受けました。原爆で焼けただれた屋根瓦、瓶などの品物や、当時の写真に胸を締め付けられました。また、そこでは何人かのご婦人が戦時中に食べたという雑草の入ったお粥を振る舞ってくれました。「今日作ったののにはね、ごはんがたくさん入っているでしょう。でもね、本当におばさんたちが食べたのはお米なんかちょっとしか入っていなくて、草ばかりだったのよ。でも、今の人たちにそんなの出しても食べられないでしょう」と優しく微笑みながら渡されたお粥の味は、当時よりごはんが多いとはいえ、青臭くて青臭くて、とってもまずくて、いただいた分を食べるのに一苦労でした。でも、私には当時の人たちのことを思うとそのお粥を残すことはできませんでした。
そんな風に育ってきた私は憲法9条を変える気にも、戦争に賛成する気にもなれません。
ただ、戦争体験を話してくれていた頃の祖母や母は本当に外人さんが嫌いで、テレビに外国人が出ていると「毛唐は気味が悪い」と言ったり、「ロシアは野蛮国だ」と、どう考えても外国人を差別するような発言もしていました。だって「鬼畜米英」とたたき込まれて生きてきていたのですから。
幸いなことに私には「戦争ほど悲惨なものはない」「全人類が地球市民としての自覚を持つべき」と教えてくださる師匠がいたので、子どもであっても外国人を「毛唐」と嫌うようには育ちませんでした。
そして、戦争体験からすっかり外国人嫌いになっていた母と祖母も、いつの頃からかぱったりと外国人を嫌がらなくなりました。その心にどんな転機があったのか、聞いたことがないのでわかりません。でも、祖母と母が「毛唐」発言をしなくなったと気づいたときに私はなんだかとても満ち足りた気持ちになりました。いま母はパックンがかわいかったり、ボビー・オロゴンが面白かったり、好きな外国人タレントがたくさんいます。
祖母と母は戦争で受けた心の傷を癒すのに、何十年もかかっていたのかもしれません。
戦争体験を語り継ぐことで戦争の愚かさと悲惨さを知り、人間はみんな平等なのだと教わることで心の中に平和の砦が築かれる・・・若輩者ではあるけれど、自分の人生を振り返ると、そのことに確信が持てます。
もう何年も前に祖父母も父もなくなってしまったけれど、辛かった戦争の体験を語り残してくれたことに感謝します。
62回目の終戦の日に戦争について考えてしまったつきまろでした。